スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。
ここ数日、終戦記念日が近くなって、テレビで原爆を取り上げた番組が放映されています。昭和20年8月6日には広島。8月9日には長崎に原爆が投下されました。私はまだ生まれていませんでしたが、昭和6年生まれの父と、昭和7年生まれの母は熊本県荒尾市に住んでいて、8月9日に有明海の向こうに大きなキノコ雲を見たことを昔、話してくれました。皆「…何だろうあれは?」と驚いたそうでした。

あれから70年。私は子供の頃に、原爆のキノコ雲を見た父母のことを思い出して「2人に何か影響はなかったのだろうか?」と疑いを持ったことがあります。例えば原爆が投下された後の放射能が気流に乗り、有明海を越えて、隣の県である熊本に「到達したのではないだろうか?」とです。でも、そんな確証は見当たりませんでしたから、思い違いとして気にしないことにしました。でも、何かしら原爆と私自身が「全然関係ない」とは思えないでいたのでした。

そんな不安を抱いたのは、私は生まれついて骨が弱くて目が悪かったし、子供の頃は肩の骨が外れて骨つぎに行ったり、トラホームで眼科に通院していたことなどがあったからでした。成人してからは、知らなかった首の骨の変形から椎間板ヘルニアを発病し、とうとう両耳が聞こえなくなってしまいました。そして、両耳が聞こえなくなった原因は第一に職業病が考えられました。機械の騒音の酷かった紡績工場や、エンジンの音が酷い大型トラックの仕事をしていたので失聴したのだと思ったのです。

でも、紡績で働いていたり、大型トラックに乗っていても、聞こえる人はいる訳でしょうし、失聴しない人はしないのですから、やはり、私は生まれながらに体が悪かったのだろうと察するのでした。先天的に病んでいた。父母の遺伝子が原因であることは間違いないと気づくのでした。これから先、もっと悪くなること? …父が14年前に末期がんで他界したことが非常に気にかかることです。


2015/08/09(日) 21:50 PERMALINK COM(0)
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。